大野倫(沖縄水産高・元エース)の現在は?骨折しても栽監督には感謝!

どうも
噂大好きオヤジです。

2月24日(金)に読売テレビで
「人生が二度あれば 運命の選択」
放映されます。

その中で僕が注目している
大野倫さんの事を紹介します。

大野倫って
一体誰なの???

大野倫さんを知っている人は
限りなく少ないと思います。

僕みたいな「高校野球オタク」で
なければ・・・(笑)

大野倫さんは
1990年と1991年夏の甲子園大会で
2年連続準優勝した沖縄水産高校の
エースだった人なんです。

1990年の時には投手ではなく
内野を守ってました。

惜しくも決勝戦では奈良・天理高校に
敗退しての準優勝。

しかしながら当時の沖縄は
野球後進県でしたから
全国が歓喜に沸きました。

特に沖縄の熱狂ぶりは
物凄かったです。

甲子園に沖縄名物の
「指笛」が響いてましたからね。

そして翌年(1991年)のエースに
なったのが この大野倫さんです。

昨年が全国準優勝だったから
今年は全国優勝・・・との
沖縄全体の期待が重く圧し掛かります。

大野倫さんは県大会から腕の痛みと
戦ってました。

本来は もう一人投手が居たのですが
体調不良で投げることが出来ず。

もう大野倫さんが投げるしか
なかったんです。

高野連からも厳重注意

痛みを誰にも言わずに投げ続けた
大野倫さんですが当然周囲にも
分かります。

・・・となると選手を守る立場の
高野連としては「ストップ」を
掛けますよね。

今では考えられないですけど
当時は高野連を無視・・・。

大野倫さんは沖縄大会を
腕の激痛を抱えながらも
勝ち進み甲子園を決めます。

甲子園では沖縄悲願の優勝を懸けて
悪夢が始まります。

沖縄水産は打線も良かったですし
順調に勝ち進みますが
一方では大野倫さんの腕は
限界を超えていました。

試合後は栽 弘義監督がマッサージ。
それでも一向に良くならずに
佐賀県から整骨院の先生を
呼んだり遂には怪しげな霊媒師を
呼んだりもしたとか・・・。

まぁ「わらにもすがる気持ち」とは
このような事を言うのでしょうね。




そして。

迎えた2年連続の決勝戦。

大野倫さんは もう投げられる状態では
ありませんでした。

その姿を見て全国から非難と激励が
殺到する中での決勝戦。

沖縄水産の健闘むなしく
大阪桐蔭に敗退します。

大阪桐蔭は今でこそ強豪に
なりましたが この時が
甲子園初制覇でした。

決勝が終わり大野倫さんの
右腕は曲がったままでした。

大会後に病院に直行して
骨折が判明・・・。

このことにより一層
大野倫さんを指導した栽 弘義監督
への非難が集中しました。

これを機に高野連は甲子園大会の
前に投手のメディカルチェックを
するようになったのです。

沖縄水産卒業後の大野倫さんの現在

高校卒業後も大野倫さんは
野球を続けます。

当然腕が故障してますから投手は
断念して外野手に転向し
九州共立大学へ進学。

打者としても才能ある大野倫さんは
九州共立大学の主軸打者として
大活躍します。

そして。

ドラフト5位指名で巨人へ入団。

選手層の厚い巨人では出場機会に
あまり恵まれずにダイエーへ移籍。

しかしながらプロの世界は
厳しく結局6年間のプロ野球生活に
ピリオドを打ちます。

大野倫さんは今現在は自動車のメーカー
勤務の傍らで少年野球チーム
「うるま東ボーイズ」の監督
しています。

当時の苦い経験を生かして
無理のない指導をしています。

「栽 弘義を殺してやりたい」
  記事の真相は・・・?

卒業後に大野倫さんは高校時代の監督の
栽 弘義氏への想いを問われた時に
「いつか監督を殺してやる。
三年間で楽しい想い出なんか何も
ないです・・・」と話したとか。

ただ 今回のインタビューで
大野倫さんは「あの記事は完全に
ねつ造された記事です」と明言。

(出典 東京スポーツ新聞社)

あの記事は当時かなり問題に
なったのですが周囲からは
厳しい声が大野倫さんよりも
栽 弘義監督に矛先が向いたとか。

その事が大野倫さんに
とっては申し訳ない想いで
一杯だったとか。

そんな中でも救われたのは
栽 弘義監督は
「大野は絶対そんな事を言う
ヤツじゃない!」と周囲には
話ていたそうです。

今でも栽監督のやり方は
正しかったと思うか?

核心に迫る質問に対して少し
考えたあと大野倫さんからは
こんな答えが返ってきました

「自分が監督でも、まったく同じ状況で
仮に投手がその子しかいなかったら
そうします。だからこそ、ルールとして
そうならないような状況を整備する
ことが必要なんです」と。

そして大野倫さんは
栽監督が自分を続投させたのは
「勝負に感情を入れたから」だと。

もし「勝負に徹していた」なら
自分を監督は続投させなかったと。

つまり「ここまで大野が頑張ったの
だから最後は大野と心中する」との
気持ちが栽監督にあったから
自分を続投させて結果として負けて
批判も栽監督に集中して
しまった・・・と。

だからこそ現在の大野倫さんは
「ルール」の必要性を
少年野球を指導する中で
訴え続けているのです。

最後にオヤジの独り言

僕は本当に高校野球が
大好きなので この試合も
鮮明に覚えています。

ただ今から思うと明らかに
無理がありましたね。

だって誰の目から見ても
骨折してるのは明確でしたから。

それでも投げさせた栽監督と
それでも投げ続けた大野倫さん。

この二人に信頼関係が無ければ
この話は成り立ちません。

今では高校野球も無理して
投げさす事は少なくなりました。

これは大野倫さんの
骨折の件からです。

将来ある高校球児。
でも高校野球は負ければ
終わってしまう現実・・・。

そこに「無理」が生じたのは
悲劇としか言いようが ないです。

残念ながら栽監督は亡くなられ
ましたが大野倫さんが
少年野球を指導されていて
いまでも野球に携わっておられる
ことを非常に嬉しく感じました。

高校野球が大好きな方は
こちらをクリック下さい

今日も 最後まで お読み頂きまして
有難うございます。

 

では また 次回!!!です







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