上地雄輔と丹波慎也・松坂大輔は横浜高校の先輩後輩!兄も元プロ野球選手

横浜高校・丹波慎也の死因は?横浜高校では上地雄輔と松坂大輔の先輩!兄も元プロ野球選手

11月16日に放送される『消えた天才』ですが今日の中でも一番注目を浴びるのは、おそらく高校野球の名門・横浜高校で松坂大輔よりも実力は「上」と言われていて元横浜高校の渡辺監督をしても「史上最高の投手」と言われる丹波慎也さん でしょうね

今までも実は丹波慎也さんの事は何度かマスコミでも取り上げられたことは有るんです・・・。しかしながら今回の『消えた天才』ほど詳細に報道されたことは無いんですよね

『消えた天才』で報道される丹波慎也さんは学年で言うと横浜高校の野球部に在籍していた上地雄輔さんと松坂大輔投手の先輩に当たります

上地雄輔さんよりも1つ上で松坂大輔投手よりも2つ上の学年・・・

今日に詳しく報道されると想いますが実は丹波慎也さんは既に亡くなって居ます。

丹波慎也さんの死因や上地雄輔さんとは、どのような関係だったのか?

早速 見ていきましょう!!!


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丹波慎也さんのプロフィール

丹波慎也さんのプロフィール

名前:丹波慎也

生年月日:1978年生まれ

高校:横浜高校

身長:184㎝

体重:82㌔

丹波慎也さんは横浜高校で野球部の指導歴50年にして丹波慎也さんのことを「歴代史上最高の投手」として表現しています。松坂大輔さんを凌ぐほどの実力であった・・・と言われれいる丹波慎也さんですが実は急死されたこともあり余り詳しい情報は残っていないのが現実です

そこで丹波慎也さんを追い掛けて横浜高校野球部に入った上地雄輔さんのエピソードを交えながら丹波慎也さんの高校時代を追いかけて見ました

上地雄輔さんは中学時代に野球部で捕手として全日本選抜メンバーとして世界大会に出場し高校進学時には何と野球強豪校38校からスカウトを受けていたほどの選手

中学3年の夏(1994年)神奈川県予選・準決勝で、かつてのチームメイト(先輩)が多く出場していた横浜商工高(現:横浜創学館高)と横浜高校の対戦をテレビ観戦。その試合で横浜高校のピンチで終盤に出てきた背番号「11」の投手の投球に目を奪われる・・・のですが実は、この投手が丹波慎也さんでした

横浜のピンチを圧巻の投球で断ち、続く2回も投げて相手打線を圧倒します

上地雄輔さんは

「この人の球を受けてみたい」

・・・と瞬時に思っています。それほど丹波慎也さんの投球は圧巻だったんですよね。上地雄輔さんも当時の同年代では実力的にはピカイチの捕手でしたから。そして丹波慎也さんが当時一年生である事を聞いて上地雄輔さんは二度ビックリ。自分より「たった一つ上の学年」である丹波慎也さんに衝撃を受けます

木内幸男監督(当時)が率いる常総学院(茨城)に決めかけていた進学先を急遽「横浜高校」に進路変更しています


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丹波慎也さん死因は?

上地雄輔さんの「進路先」まで変更させた丹波慎也さんですが実は、既に亡くなっています

死因は急性心筋梗塞・・・

亡くなったのは2年生ながら丹波慎也さん中心の新チーム発足直後である1995年8月17日・・・・のことです

死因である急性心筋梗塞・・・は年齢がいっているとか若いに関係なく本当に突然にやってくる病気として有名ですが、まさに丹波慎也さんも、その通りで前日まで元気にされていたのに・・・残念な突然死になりました

横浜高校は精神的なショックで、翌年のセンバツがかかる秋季大会の出場辞退も検討しますが丹波慎也さんの母親が渡辺監督(当時)に

「何としても慎也のためにためにやってほしい。慎也からそういう声が聞こえた。すぐやってください」

・・・と机を叩きながら懇願します。この丹波慎也さんの母親も素晴らしい人柄だったと言われていますが、その通りの逸話ですね

横浜高校は丹波慎也さん母親手作りのお守りを全員が持ち秋季大会を勝ち進んで第68回選抜(1996年)に出場しました(初戦敗退)

丹波慎也さんが背負っていた背番号「1」は欠番とされて投手は控え投手(兼外野手)に回っていた松井光介(ヤクルトスワローズスコアラー)さんが務めました

同じチームで1996年夏の第78回全国高等学校野球選手権大会にも甲子園出場を果たして(3回戦敗退)いますから丹波慎也さんの死でナイン全員が発奮したのでしょうね

横浜高校の野球部である長浜グラウンド脇には丹波慎也さんを偲ぶ石碑(レリーフ)が建てられています

レリーフには投球する丹波慎也さんの姿とともに「横高野球部に栄光あれ 信念 1995年夏 丹波慎也」と刻まれています


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丹波慎也さんの兄は元プロ野球選手

4歳年上の丹波の実兄・丹波幹雄さんも弟と同じ横浜高校に投手として進学していて1年の秋からベンチ入りして将来を有望視された逸材でした

しかしながら肘の故障のために2年春に退部し、その後は傷心からか野球から離れていました

丹波慎也さんが亡くなる直前に

「キャッチボールに付き合ってくれ」

・・・と頼まれて相手を務めたときに丹波慎也さんから

「まだやれるじゃん!」

・・・と言われて野球を再び志すキッカケとなっています

そして兄の丹波幹雄さんは急死した弟の遺志を継ぐために肘を手術した上で1996年からクラブチームで野球を再開

1998年のドラフト会議でヤクルトスワローズに8位指名されて投手として入団しています

そして、この時のドラフトで西武ライオンズから松坂大輔は一位指名、丹波幹雄さんは最下位指名・・・される因縁もありました

丹波慎也さん幹雄さんの兄弟がリアル「タッチ」版・・と言われるのは、この為なんですよね。

確かに「タッチ」と余りにも展開が似て居ますから・・・

丹波幹雄さんは弟・丹波慎也さんを凌ぐ体格(193cm・94kg)の投手でしたが高校時代のケガの影響もあってか?一軍で投げることはなく2002年に戦力外通告を受けています

今日の番組の中では、おそらく兄である丹波幹雄さんも登場すると言われていて、どのような発言をしてくれるか?注目されます

 

今日も 最後まで お読み頂きまして 有難うございました

では また 次回です!!!

 

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