NGT48の山口真帆にいったい何があったのか?事件は未遂に終わったのか?

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帝国崩壊!?

これだけ問題が続くと、もはや秋元康(60)帝国崩壊の予兆としか言えません。NGT48の山口真帆(23)は、結局NGT48を卒業する道を選択しました。運営会社であるAKSがグループの混乱を収められない中、山口は4月21日に卒業を発表したのです。

山口がその発表の場として選んだのは、やはり新潟市中央区にあるNGT48劇場。この日行われた千秋楽公演のチームG“逆上がり”公演に出演した山口の出演は、前回から数えること実に101日目です。パフォーマンス終了後山口は、あらかじめ用意していた紙に書かれた1700字以上の文章を、涙を流しながらも読み切りました。

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山口問題の発端

山口問題の発端となる事件は、昨年12月に起こりました。山口の自宅マンションに押しかけた男性ファン2人が、山口に暴行を働いたのです。この事件について発生直後は、明らかにはされていませんでした。

それを山口が1月8日の夜~翌9日の早朝の時間帯に、自身のSNSや動画配信サービスから発信。すると日本国中が、大きな反応を見せます。さらに翌日の10日に、3周年記念公演がNGT48劇場で行われますが、そこに出演した山口は騒ぎの拡大に驚いたのでしょう。公演中に、謝罪をしていました。

3月21日になるとNGT48の公式サイトに、第三者委員会調査報告書が掲載されました。しかしその中で、メンバーがプライベートでファンと関わっていたはいたものの、事件においてメンバーが関わった事実はなかったと断定。

さらに翌日の22日にもグループを運営のAKSが、説明会を開きます。それでもしどろもどろな説明しかできなかったため、23日にはスポーツ新聞やネットでは、批判の意見が殺到することになりました。

これまで秋元帝国とも言えるAKB48グループに、メディアはベッタリの状態でした。特にスポーツ新聞はここ10年、その親密さの度合いが社会の公器であるべきメディアとは思えないほどだったのです。

とりわけ日刊スポーツの動向は、その傾向が顕著でした。“選抜総選挙 公式新聞”を自称し、“月刊AKB48グループ新聞”を発行していました。その日刊スポーツでさえ山口問題では、運営側に辛らつな批判の矛先を向けています。

絶頂期の2012年ごろにはテレビ業界にも、AKB48グループにヨイショする人間が少なくなかったといいますが、7年もたつとそれも今は昔。メディア全体がAKB48グループからは、距離を置くようになっているといいます。

当時は売れっ子メンバーなら、10社を超えるCMに出演していました。ところが今それほど多数のCMに、出演するメンバーは見当たりません。そもそも一般人が持つグループ内についての情報量が、少なくなってきています。

かつてAKB48グループの総監督が高橋みなみ(28)であることは、ファンでないおじさんたちにも常識でした。4月1日、横山由依(26)から向井地美音(21)に、総監督が替わっています。このことを、どれほどの人が知っているのでしょうか。

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欅坂46内部の問題

山口が卒業を発表する少し前にも、欅坂46内部の問題が発覚していました。
自身のブログで「心苦しい決断」とし、昨年11月4日の京都での握手会を最後にグループを卒業していた今泉佑唯(20)。その卒業の理由がグループ内でのいじめであることを、“週刊文春デジタル”が記事にしています。

2015年8月21日に産声を上げた欅坂46の1期生メンバーの募集は、同年6月28日から始められました。応募者総数22509人中、8月21日の最終審査まで進めたのはわずか45人。さらにその中から合格できたのは、22人でした。今泉はその中の1人で、まさに選ばれしエリートだったのです。メンバーの1人として活動を始めてからも、“ずーみん”と呼ばれる人気者でした。

しかし17年4月になると体調が思わしくないとして、8月までいったんアイドル活動を休んでいました。8月の再スタート後も12月になると、またもや年内は休むことを発表します。昨年11月4日卒業ですから活動再々スタートするも、結局は数か月しか続かなかったことになります。

“お休み”の多い今泉には、いじめられている可能性を指摘する声が、1部のファンの間ではありました。17年8月の活動再スタート後も、今泉の様子が芳しくないことはささやかれていたのです。

これも1部のファンたちの間で言われていたことで、メンバーの平手友梨奈(17)や志田愛佳(20)らとうまく行っていない説。これを今泉の兄は、文春の取材で否定しています。彼女たちよりも、平手をあがめる5人のメンバーがグループ内には存在し、今泉をいじめていたといいます。

具体的いじめ内容は、“エレベーターに今泉を乗せない”、“施錠し、楽屋に入れなくする”、”「死ね」と、暴言を浴びせる”、“グループは平手が中心になりつくったもので、それを今泉が潰しているかのようにののしる”などと、かなり陰湿なものばかり。いったん活動を休んでいた時期、5人中の1人からは戻らなくていいことを告げられたといいますから、復帰早々様子がおかしかった原因はそれかも知れません。