沖田浩之とは?
昔を懐かしむ気持ちがノスタルジア。そのノスタルジアを刺激する人気のバラエティー番組が、フジテレビ系列で毎週月曜日に放送されている“石橋貴明のたいむとんねる”です。3月11日放送回でも、アイドル・沖田浩之の出演したコマーシャル映像が番組内で流され、ネットには感激の書き込みが上げられました。なぜそういったことになるのか?ですが、それには理由があります。
沖田が一躍知名度を上げたのは、TBS系列で放送された伝説のテレビドラマ“3年B組金八先生”第2シリーズに出演したときです。この1月から3月まで、日本テレビ系列で放送されていた“3年A組–今から皆さんは、人質です–”。タイトル名や菅田将暉(26)演じる教師・柊一颯の熱血ぶりからも、“3年B組~”を元としているドラマであろうことは間違いありません。“3年B組~”はそれほど、当時の視聴者たちの胸を打ちました。
突然の訃報
冒頭の“石橋貴明~”の番組MC・石橋は、沖田とはほぼ同世代です。アイドルでもあった1981年の沖田のヒット曲“E気持”は、オリコンチャートで最高8位に入りました。それを番組内で口ずさんでいた石橋は、今57歳。しかし沖田は、現在50代男性ではありません。沖田は36歳のとき、自死しています。
当時沖田は、妻・千代子さんと2人の子どもの計4人とともに、川崎市高津区にあった自宅で生活していました。千代子さんがそれを見つけたのは、99年3月27日のAM11時40分ごろです。
AM9時ごろに千代子さんが幼児教室へ上の子どもを連れて行った帰り、なぜか自宅玄関の鍵はかけられていませんでした。千代子さんが沖田を呼ぶも、返事はなし。2Fの沖田自室に行ってみたところ、沖田は寝巻きのひもで首をつっていたのです。
救急車で川崎市内の病院に搬送されるも、ほどなく死亡が確認されます。警察は自殺としましたが、遺書などもなく、いまだに死の真相は不明です。
この沖田の家族には自殺者が多いことが知られており、それも一因ではないかと言われています。まず、弁護士だった沖田の祖父は、仕事上展開した持論が正しいことを認めさせるため自殺しています。
ゴルフ会員権や不動産の商売をする会社を営んでいた沖田の父親は、その経営を沖田の兄である長男に託しました。すると長男の乱脈経営とバブルの崩壊が重なり、多額の債務を抱えることに。
父親は96年9月に、長男は02年4月にそれぞれ自殺しています。父親は首をつる前に自身の保険金を、会社の債務の補填に充てるよう言っていたといいます。翌97年は母親ががんにより死亡しましたが、2人の保険金を手にした長男がそれを債務補填に回すことはなく、沖田に責められた長男は首をつりました。長男の死以外は、沖田の心理に影響した可能性はあります。
今のアイドルのほとんどは、グループの一員として活躍します。しかしアイドル黄金期ともされる80年代アイドルは、ピンで活動するのが普通でした。ピンで売れて行かなければならないわけですから、今以上にアイドル本人の才能が求められるのは当然です。
岡田有希子の怪死
80年代のアイドル黄金期をトップランナーとして引っ張ったのは、松田聖子(57)だとすることには、誰も異論を差し挟む余地はないでしょう。その松田に続くものと思われていたのが、岡田有希子でした。
松田がこの世に生を受けたのは、1962年3月10日。沖田はその翌年、63年1月7日に生まれています。さらに4年後の、67年8月22日に岡田は生まれました。“ポスト松田聖子”と言われ、所属するサンミュージックから岡田への期待も大きかったのですが、18歳のときみずからの人生にみずから幕を引いています。この世代はアイドル華やかなりし一時代を築きましたが、自殺でこの世を去って行ったアイドルが、複数存在することになります。光あるところに影あり。この2人は、この真理を体現しているかのようです。
86年4月8日は全国コンサートを終わらせてから3日目の、岡田もくつろいでいるはずの日でした。その日、岡田が住む部屋の2フロア上のマンション住人が、ガス臭に気づきます。住人は警察と東京ガスに連絡を入れました。ガス臭の元は岡田の部屋だったことから、マネージャーも一緒に岡田の部屋に駆け込むと、岡田は押し入れの中。ガス栓は開けられ、しかもしゃがみ込んで泣く岡田の左手首は、カットされていたのです。
岡田は自宅近くにある北青山病院に運ばれ治療が施されたため、そのときは大事に至ることはありませんでした。そこで岡田はマネージャーと、東京都新宿区四谷にある事務所へ向かいます。するとそこへ、社長からの電話が入ります。マネージャーがその場を離れたそのときです。岡田は屋上へ向かい、そこから飛び降りてしまいました。全身を強打した岡田は即死。
鉛筆で書かれた遺書らしきものが見つかりました。そしてそれにはある俳優の名前が。大物俳優・峰岸徹の名前です。TBS系列で放送されたドラマ“禁じられたマリコ”で、2人は共演していました。岡田初主演のこのドラマは、同月中旬から再放送されることになっていましたが、TBSは急いでこれを中止。
当時いろいろな臆測が報じられました。しかし峰岸は、2008年10月11日に65歳でなくなっています。岡田の死の真相は、もう永遠に闇の中です。